高円寺純情物語 2


 

まだもう少し寝ていても大丈夫なのに、眠れない。10時に高円寺のお寺に着けば良いというのに薄暗いうちからボチボチ身だしなみを整える私。

ホテルの朝食、パンとベーコンくらいしか取らない子供に、「お米をしっかり食べなさい。今日もハードな一日だよ」と米を促す。

外国人さんや老夫婦、たくさんの宿泊客がいる月曜日のホテルの朝食会場で、「やっぱりパパが作る米の方が美味しいね」なんて言いながら食事する家族4人。ご飯をもぐもぐ、かむと同時にポロポロと、目からこぼれる。パパも、ママも。何気ない会話をしてるだけなのに、ポロポロと、こぼれてしまう。

今日は晴天、青空。少し風が肌寒いけれど、昨日出発して来た雪景色とはやっぱり別世界だ。

「ここでも練習したね」懐かしい公園や小道を抜けてお寺へ。澄んだ青空の下、ピンクの梅の花がとってもキレイ。


棺の中で眠るそのお顔は、それはそれは凛々しくて穏やかで優しく、本当にかっこ良かった。「こんなに遅くなっちゃってごめんなさい。子供達連れてきましたよ」今にも目を開けて起きてくれそうなのに、返事はない。


今日は、爆音鳴らして皆で賑やかに踊って弔う告別式だ。

粛々と準備をする仲間たち。お寺の隅、お墓も並ぶ背景の中、道具を置いた場所の隅の奥で、ひとり、不思議な動きをするおじさん。お囃子の指揮者的な立場の鉦(かね)のおじさん。鉦を持たず、一人静かにエアーでイメージトレーニングしている。

その腕、腰、足の絶妙な動きの後ろ姿は、、、愉快だ。けれどそこにおふざけがあるわけもなく、いたって真剣で、彼だってあの方を想い、最初で最後のこの祭りで、良い音を響かせようと真剣なのだ。強く厳しい大きな熊さんの横で、いつだって穏やかで愛されキャラだったこのおじさん。子供達にもケラケラと笑われて、愛しいはにかみ笑顔で振り返るけれど、きっと心は大泣きしているに違いない。

私はこの姿を動画で記録した。泣きっ面に腹の底から笑いが出てくるんだから忙しい。

「背中だけで笑えるってすごいよね」こんな風にいつも、涙が出るほど笑い合っていたっけ。

はたから見たら、任侠の世界ですか?とも見えかねない黒い集団の内側は、どこまでも温かく、老いも若きも共に飯を食らい、時には共に風呂に入り、ひたすら地道に練習し、夏を迎え、土日の度に爆音で踊りあかす、一本、筋の通った熱き人情の塊だ。そこは年齢も職業も性別も何も関係なく、必要なのは祭りに心躍る真摯な魂。そんな集団に憧れ出入りする若者たちを受け入れ、飯を食わせ、時に厳しく諭すあのお方が真ん中の仲間たちは、これもまたまさに「多様性」を認めた世界。誰もかれも、本当に個性様々で、アツく、優しく、厳しく、素敵だ。


粛々と事は流れ、鉦が鳴り、お囃子がうなり、男踊り、女踊りが、あの方の前で踊り出す。撮影係を仰せつかった私は、今時なぜかポラロイドカメラの枚数を気にしながら撮影に挑む。お囃子の方を振り向けば、ガタイの良い強面の面々が顔を赤くし、泣きっ面で、がむしゃらにバチを振り乱していた。


いつかはこうゆう日はくるのだろうが、もっと、後であってほしかった。

14年顔を出さなかった私たちが一緒に踊らせてもらうなんて、申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、旦那さんは久しぶりにあの黒法被を羽織り、大鼓をしょわせていただいた。

最後のお見送りは、お祭りの流しのように賑やかに。高張提灯、女踊り、女法被、男法被、そして、この仲間たちの真ん中の人であるあのお方、最後にお囃子と続いた。

子供にスマホを渡し録画をお願いした。パパもママも、仲間に入らせてもらう。パパは大鼓を出来うる限り必死に叩いた。ママはあの頃のように、大先輩の隣で踊らせていただいた。

最後の最後、あのお方が車に乗り、お囃子もまくし立てる。もう一人、鉦を操る古株の女性の音にも力が入る。皆が皆、全力だ。


胸が苦しく、ため息が出る。


なんて、なんて、素敵で、かっこ良い人たちなんだ。

「ありがとうございました!」

そして、音は止んだ。ひとつの幕が閉じた瞬間だった。



                                   つづく…



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